あるいはワカリクセス

プログラムはコンピュータを完全に支配している。 コンピュータが文字や絵を表示するのも、音を出すのも、キーボードからの入力を受け付けるのも、その他あらゆる動作のすべてが、プログラムによる仕業だ。 コンピュータはプログラムなしにはまったく動作しない。 プログラムなしでは、それはただの機械の塊に過ぎず、電源を入れて見たところで少しばかり暖かくなるぐらいの役にしか立たない。 世界中に存在する数万、数億台というコンピュータは、例外なくそうなのである。

しかし、それほど強力なプログラムの実体は、非常に希薄ではかないものだ。 我々はプログラムを手に取るどころか、存在を目で確かめることすらできない。 もちろん、紙に印刷することはできる。 しかそれは単に印刷したコピーに過ぎず、プログラムの実体とは大きく異なる。 フロッピーやハードディスクや CD-ROM に記録されたものも、媒体が異なるだけでコピーである点は同じだ。 プログラムの実体とは、マイクロチップ上に構成された電子のパターンに過ぎない。 我々はそこにプログラムがあることを知っているが、実際にそれを目にしたことはない。 それは手に取る訳にもいかないし、匂いをかぐこともできない。 ただ、コンピュータが動作しているという事実、それを作りあげてきたこれまでの歴史、動作原理に関する知識、そして確かにそこに存在することを確かめるための様々な道具によって、間接的に存在を知っているだけだ。

人間の意識は肉体を完全に支配している。 …いや、完全とは言えない部分もいくつかあるが、ほとんどすべての部分は思いのままにコントロールできる。 声を出すのも、表情を変えるのも、手足を振り回すのも、歩いたり走ったりするのも、人の意識の成せる技だ。 肉体は意識なしには動かない。 意識なしでは、それはただの肉の塊に過ぎず、生きているといっても少しばかり暖かいぐらいのものでしかない。 世界中の数十億人の人間達がみんなそうなのだ。

少なくとも人間の意識を司る器官は脳であると言える。 脳細胞同士が電気的に信号をやりとりしていること、そのネットワークは非常に膨大であること、またそのネットワークは成長や学習に伴って複雑化していくことから、意識と脳との関連が伺い知れる。 脳に関する研究は他にもある。 脳に怪我をした結果現れる障害から、脳の部位とその機能との関連を知ることができる。 電気的な刺激を与えることによって、実際には存在しない知覚や聴覚、嗅覚を引き起こすこともできる。 脳が発する電気信号を捉え、グラフにすることもできる。 そこに現れる図形は、意識や心理状態に関連するような変化があらわれることが分かっている。 さらにそれを押し進めて、人間の意識は脳細胞の上の電気的な信号パターンで表現できるといってもいいだろう。 それはちょうど、チップ上の電気的パターンであるプログラムがコンピュータを動かしているのに似ている。 どちらも手にとって見ることができない点もそっくりだ。 意識のパターンは今のところ印刷できないが、それはコンピュータほどに人間の脳の仕組みが明らかになっていないからだし、第一取り出すインターフェースもない。 だが、意識とはそういうものなのだという考えは、そんなに無謀な考えではないと思う。

というのはちょっと過激かもしれない。 まあ、名前にこだわる必要はないのだから、「その電子パターンをワカリクセスと呼ぶ」と決めてしまってもいい。

というわけでワカリクセスの話は次回に続く。

Jan-13-1998

混乱した部分を改訂したら、「魂」という単語が抜け落ちてしまった。 タイトルまで変えるのは忍びないので、このまま放置ってことで。

Jan-20-1998


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