悪漢

PS や SS で遊べる今時の RPG は、ほぼすべてが「ドラゴンクエスト」から派生したタイプのゲームとみなすことができる。 プレイヤーは剣と魔法の国の住人の一人で、ひょんなことから世界征服(または破壊)を企むボスキャラを相手に戦うはめになり、世界中のあちこちをうろつきまわって仲間やアイテムや経験値を集め、最後にボスキャラを倒しておしまい、というパターンだ。 もっと分解してしまえば、イベントやアイテムと称するフラグを立て、経験値と呼ばれる「プレイ時間に比例するパラメータ」を基準値以上に上げれば、最終イベント「ボスを倒す」に突入するという筋書きである。 これだけ単純な仕組みであっても、物語や世界背景、武器や魔法のバリエーション、イベントの多様さなどで非常に面白いゲームを作ることができる。 が、結局はフラグの見せ方の違いに過ぎず、攻略方法のパターンをつかんでしまえば、どのゲームも簡単に解ける。 この種のゲームにとって象徴的なのが、攻略本の存在だ。 そもそも攻略本というのは、ゲーム展開が完全に決められたシナリオ通りに進行するからこそ成り立つものだ。 もしシナリオに真の意外性やランダム性があるのなら、「○○で××すると□□になる」的攻略本は全然役に立たないはずだ。 結局、敷かれたレールの上をゴールに向かって走るだけの、映画を見ているような感じのゲームでしかないということなのだ。

一方で、そうでないゲームも確かにある。 rogue に代表される RPG だ。 rogue 系のゲームが DQ 系と異なる点は色々ある。 簡単に列挙してみよう。

DQ 系のゲームでは、武器は武器、防具は防具なりの使い方しかできないが、rogue では武器の代わりに防具を使って攻撃することもできるし、それなりの攻撃力を期待することもできる。 コマンド直交とは、コマンド対アイテムの対応に奇妙な制限がないことを表す。 これによって組み合わせのバリエーションも増えるし、特定のイベントをクリアするだけの特殊なアイテムだとか、コマンドなどを排斥するにも役立つ。

モンスターの賢さはものすごい。彼らはプレイヤーと同じ武器、防具、魔法、アイテムを自由自在に(プレイヤーと同じ制限付きで)使いこなせる。

リアルな状況表示とは、たとえば空中浮遊しているときに物を投げると反作用でプレイヤーが後ろに飛んでしまうというようなことだ。 ほかにも、そんなことまでシミュレートしなくてもいいだろうというぐらい細かな状況表示がある。

以上のような特徴は、ゲームキャラクタがいるダンジョンのリアリティを少しでも増加させることを目的として組み込まれた機能ばかりだ。 このようなリアリティがあるからこそ、プレイヤーは自分の分身たるキャラクタにより深く感情移入することができる。 無気味なグラフィックや大きな音がなくても、画面上に「D」が現れただけで思わず悲鳴を上げてしまうようなことだってあるのだ (D は dragon、火を噴くモンスターで結構強い)。

このような rogue 系のゲームに対しても、当然のことながら批判がある。 DQ 系のゲームに比べて、シナリオに深みがないということだ。 rogue や NetHack では、イベントと言えば戦闘しかない。 アイテム探しや謎解きの要素もあるが、今時の DQ 系ゲームにあるような仲間との協力や人間ドラマ(ヒロインとの色恋ざたとか、喧嘩とか、死別とか)は望むべくもない。 あくまでも、たったひとつの最終目標に向かって怪物の死骸の山を築き上げるのがゲームの主たる展開なのだ。 が、果たしてそれを「シナリオに深みがない」という言葉で片付けられるのだろうか。 言ってみれば積み込み麻雀のような今時の DQ 系ゲームに「深みのあるシナリオ」を期待できるのだろうか。 それが積み込まれた上がりであっても、「深み」などと呼べるのだろうか。

確かに rogue 系のゲームは戦闘イベントしか存在しない。 だがそのイベントは非常にリアリティの高いレベルに達していて、ひとつひとつの瞬間に選択した動作が様々なドラマを産み出すのである。

戦士は剣を折ってしまい、武器がほとんどない状態でダンジョンをさまよっていた。 そこにゴブリンが3体現れた。 戦士にとって奴等は大した敵ではなかったが、素手で戦うのは少々危険だ。 戦士は変化の杖を持っていたので、それを使って相手をもっと弱いやつに変えてしまうことにした。 戦士は変化の杖をゴブリンめがけて振った。 先頭のやつと2番目のやつは、コウモリとか虫のような弱いやつに変化した。 だが、3番目のやつはファイヤードラゴンに変化してしまった。 ファイヤードラゴンは戦士に向かって火炎放射を浴びせてきた。 射線にいた2体の元ゴブリンはあッという間に焼けこげ、戦士も瀕死の重傷を負った。 戦士は慌てて部屋の扉に向かって走り始めた。 ドラゴンに追い付かれる前に扉に到達することは可能だったし、とにかく逃げることが先決と判断したのだ。 だがドラゴンの方が一枚上手だった。 奴は壁に向かって火炎を噴いた。 火炎は壁に反射して、ちょうど扉を潜りぬけようとした戦士に命中した。 戦士は骨まで焦がされると、死体となって床に転がった。

だいたいこれぐらいのことが、特定のシナリオなしに体験できるのである。 もちろん、その場のプレイヤーの判断や怪物のランダムな選択にも左右されるから、すべてのプレイヤーが同じイベントを体験できるとは限らない。 しかしこれ以上にスリリングな展開もありうるし、今度は生きて切り抜けられるかもしれない。 このようなリアリティがあるからこそ、「イベントといえば戦闘だけ」というゲームに熱心になることができるのだ。 rogue や NetHack に限らず、似たようなシステムを使って成功しているゲームは他にもある。 Diablo がそうだ。 Diablo は rogue の要素に加えて、真のリアルタイム表示や詳細な 3D グラフィック表示を実現、さらにネットワーク接続によって4人までの同時プレイをサポートしている。 やはり、発生イベントは戦闘のみという単純なゲームだが、特に4人の協調プレイによって生まれるバリエーションは最高に面白い。 そこでは色恋ざたまではいかないものの、協力や裏切りのような戦闘場面での人間模様も確かに存在するのだ。

rogue 系のゲームが決まり切ったシナリオなしにここまでできる理由はなんだろうか。 最大のポイントは NPC のインテリジェンスだろう。 つまり、プレイヤー以外のキャラクタの立ち振舞いのリアルさが、全体的なリアリティの向上に大きく寄与しているということだ。 ゲームの面白さは手強い敵を負かすという点にある。 その敵が単純バカであっては、負かす楽しみもなくなってしまう。 DQ 系のゲームの敵は、そういう意味では強い敵ではない。 ボスキャラは必要なアイテムと経験値さえ持っていれば誰でも倒せる程度でしかない。 DQ 系の戦闘システムでは、シナリオから外れたイベントは起こせないからだ。 だが rogue 系のゲームは違う。 戦闘というイベントに特化してしまった rouge 系ゲームではあるが、それだからこそインテリジェンスな NPC を作ることができ、それがゲーム全体のリアリティを引き上げているということなのだ。

今後、RPG はどのような方向へ進化していくのだろうか。 DQ 系のゲームの頭打ちは目に見えている。 シナリオのバリエーションは、映画や小説のように取り上げるテーマやイベントのバリエーションと同様であり、プレイヤーが生みだすバリエーションに比べれて多様であるはずがない。 一方 rogue 系のゲームには、まだまだ発展の余地が残っていると思う。 戦闘のエキスパートというだけでなく、他のイベントにおいても重要な役割を果たせるような賢い NPC を作り出せれば、それらを相手に新たなシナリオを作り上げていくことができるはずだ。

ただ、Ultima Online というゲームを見ると、そのバランスは非常に難しいものになるだろうと予測できる。 Ultima Online は世界をまるごと電子化したような広いフィールド上で展開し、戦闘に限らないさまざまな生活臭漂うイベントをこなしていく必要がある。 UO はリアリティを追求し続けた当然の結果かもしれない。 だが、やりすぎの感も否めない。 UO では非常な積極性と行動力がないと、ただの日常生活から逃れられず大したイベントにも遭遇できないという、まさに実社会的な問題を抱えているのだ。 このバランスを改善し、自然にさまざまなイベントに繋げるような仕組みが整えば、UO は最高におもしろいゲームに発展できるだろう。 だが現状では、やはり飛躍が大きすぎたという気がする。 現在のコンピュータとゲーム開発の技術から見て、Diablo を NetHack なみに発展させるとか、別の要素を少しずつ追加していく方が、プレイヤーを引っ張っていけるように思える。

Jan-19-1998


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