希望

パンドラの箱を開ける、というのは「やぶへび」に似た意味の用語だ。 これはギリシャ神話の、プロメテウス対ゼウスの戦いのうちのエピソードが由来になっている。 当時のゼウスは人間に冷淡で、いろいろ不条理な悪さをしまくっていた。 プロメテウスは人間に味方したためゼウスとの仲が悪くなった。 ゼウスはいろんな嫌がらせをしたが、そのうちのひとつが土から絶世の美女を作ってパンドラと名付け、そいつにあらゆる災厄が詰った甕を持たせてプロメテウスの弟のところへ送り付けるというものだった。 弟はうっかりその女を受け入れてしまい、女はうっかり甕の蓋を開けてしまう。 これまで病や争い事を知らなかった人間たちは、さまざまな災厄に悩まされることになってしまった。

この話には、「慌てて蓋を閉めたら甕には希望だけが残った」というオマケがついている。 この話はよく「希望だけは残ったんだからいいじゃん」みたいな風に使われているようなのだが、それにしてはおかしな点がある。 災厄が詰っていた甕の中に、なぜ希望が入っていたのかということだ。 もしパンドラの箱に入っていたというのなら、希望もまたゼウスが人間に与えようとした災厄のひとつだったに違いないのだ。 希望とは、人が考えるようなよいものではなく、避けるべき災厄のひとつなのである。 ものの本には、

ただ一つ、空しい「希望」だけは、ぐずぐずして思い切りの悪い性質から、まだ甕の中から出きらないで、縁の下にとどまっていた。
[ギリシア神話、呉茂一(新潮文庫)]
などと書かれている。 まあこれは要約なのだが、決して希望がよいものであるようには思われていなかったらしい。 当時のギリシア人がそーゆーふーに考えていたとするなら、なんてカッコいいんだろうなんて思ってしまう(なんのこっちゃ)。

もっともこの話の場合、希望は甕から出ずに残ったのだから、人間界は汚染されずに済んだと考えることもできるし(つまりこの世にはユメもチボーもない?)、手元にもっとも厄介なものが残ってしまってえらいこっちゃという話とも取れる。 いったいどっちなのだろう? 知っている人がいたら教えてください。

May-13-1998


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