英会話

もう2年前になるが、NBA の試合を見にシカゴへ行ったときのことだ。 そのころ、ちょうど弟がフィラデルフィアに留学していたので、日程を合わせてシカゴで会おうということになった。 実際に会えたのは夜中の11時半。 僕は腹が減っていたので何か食おうということになり、通りをぶらついてみつけたパブ・レストランへ行った。

弟がいうには、シカゴはフィラデルフィアに比べて格段にきれいな場所だという。 特にダウンタウンは深夜に歩き回っても平気なぐらい治安がよい、とタクシーの運転手が言っていたのだそうだ。 確かに、われわれが歩いた通りにはごみも少なくホームレスも全然見掛けなかった。 パブ・レストランで僕はハンバーガー、弟はサラダを食べた。 二人とも酒は飲まないので、コーラとジュースだけ。 そこでレストランでのマナーとチップの払い方を教わり、食事を終えてホテルに戻ることにした。

来た道を引き返してホテルに戻ってみると、最初に見つけた入り口はすでにロックされていた。 おそらく正面玄関は開いているだろうと思い、そちらに回ろうとすると、突然通りに止まっていた車の中から「じぇんとるめん!」と声をかけられた。 それは太ったおばさんで、脇にある赤いボタンを押せという。 身障者用のドアは常に開いており、ボタンを押すと自動で開くのだ。 われわれは短く礼を言って、部屋にあがった。

シカゴにはちょうど48時間いたのだが、あちこちで話し掛けられる機会が多かった。 たとえば空港から市街まで電車に乗ってきたのだが、駅のホームから地上へ上がるエスカレーターの天井がひどいカビで真っ黒になっているのを唖然として見上げていたら、後ろで見ていたおばさんが「こんなに汚くてごめんなさいねえ」と声をかけてきた。 「そーっすね」と返事をすると「どこからきたの?」という。 「にぽんからバスケ見にきたっす」というと「あらそう!」と嬉しそうだ。 翌日、スタジアムに行くためタクシーを止めたときも、運転手に「まだゲーム開始まで時間があるぜえ、それでもいくんかい」と言われてしまい「いや僕たちはシャシーンがとりたいんすよ」と答えたら大笑いされたりもした。 そういえばレストランで食事をしているときも、給仕は必ず「具合はいかが」とたずねてくる。 これはチップ欲しさというのもあるが、レストランの店員は必ず声を掛けるよう教育されているのだそうだ。 いくら呼んでも返事もしない、ロイホやデニ屋の店員とは大違いである。

まあそれはともかく、深夜の通りで見かけた決してよい身なりとはいえない若い東洋人2人に向かって赤いボタンのことを教えてくれたおばさんにはちょっと感激してしまった。 これがもし、東京だったらどうだろう。 ホテルの入り口でもめている外国人を見掛けて、声を掛けるような人が果たしているだろうか? たぶん、全然いないと思う。 英語が話せないからとかいう理由ではなく、単にそういうのと関わりあいたくないという理由で避ける人が圧倒的に多いだろう。 仮に英語が達者でも、やっぱり声は掛けないだろう。 普段、日本人が相手であっても、そんなことはしないからだ。

近頃は英会話ブームにも一段落ついたようだ。 というよりは景気が悪くなって、金のかかる英会話教室に通えなくなった人が多い、ということなのかもしれない。 大手の英会話学校が潰れたりもしている。 それにしても、留学とか出張などで英語が必要、という人以外に、英会話に興味を持つ人は少なくない。 でも彼らが英会話を身につけて、いったい何をするのだろうか。

会話というのは他人とのコミュニケーションの道具である。 でも普段、街角のあらゆる場面で、見知らぬ人同士が会話する機会はほとんどない。 会話どころか挨拶さえないのである。 そんな現状で、果たして英会話が役立つチャンスがあるだろうか? 日本において外国人というのは、究極のよそ者である。 そんな人々に、いったいなんと声をかけるつもりなのだろう。 日本人同士でさえ、ロクに話し合えないというのにだ。 外国へ行ったときに役立たせるためだろうか。 外国へ行ったからといって、日本での習慣が簡単に改まるとは思えない。 きっと買い物するときぐらいしか使わないだろう。 そんな程度の目的で、果たしてそれほど努力が必要なのだろうか。

たぶん服やバッグにお金を使うのと同じ感覚なんじゃないかなーと想像するのだが、たぶん違うんだろうなあ。

Jun-27-1998


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