文節

ちょっと古い話になるが、ノートパソコンかなんかのCMで、画面いっぱいに「日本のモバイラーたちへ」とかいう文字がぱぱっと出るのがあった。 その表示のされ方が、かな漢字変換(しかもローマ字打ち)だったりするというやつだ。 最近こういうスタイルの文字の出し方は、テレビのドラマなどでもちらほら見られる。 この前買った「やるドラ」の 季節を抱きしめて においても、ミニコミ誌でバイトする主人公が原稿を書くシーンをワープロ画面で再現したりしているのだが、このシーンがなかなかリアルで、きっと実際の入力作業を録画してアニメに起こしたんだろうと思えるほどである。 僕はあんまりテレビドラマを見ないので、他の例は挙げられないが、探せばいっぱい出てくると思う。 昔から、ドラマの主人公がキーボードを叩くっていうと、どうみてもデタラメに打っているとしか思えないことが多かったことを考えると、これが技術の進歩かと思ってしまったりもする(技術は関係ないか)。 まあいずれにしてもこういうシーンが一般向けに出てくるということは、世間一般におけるワープロ、引いてはかな漢字変換技術が結構浸透しているということなのだろう。

が、しかしここでもうひとつ気づくことがある。 それは、みんな文節変換を手動でやってしまうということである。 たとえば冒頭の「日本のモバイラーたちへ」の変換手順をみると、どうやら

にっぽんの[変換] もばいらー[カタカナ変換] たちへ[無変換]

とやっているように見えるのだ。 「やるドラ」のシーンにおいても、主人公は連文節変換も逐次変換機能も使わず、自分で考えながら文節ごとに区切り、変換し、確定している。

なぜ彼らは自分が使っているかな漢字変換ソフトの、文節区切りを信用しないのだろうか。 かな漢字変換ソフトは、連続した文節を自力で区切り、品詞や単語の意味などの情報から適切な候補を推論し、最適な候補を最初に表示するようにできている。 したがって、文章を手動で細切れにしてしまうと、用例や学習機能がまったく活用されず、最適候補も出てこなくなるという害があるのだ。 にもかかわらず、彼らはなぜ長文入力を好まないのだろうか。

真っ先に思いつくのは、そういう機能のことを全然知らないというパターンだ。 文章を長く打ち込んだ方が変換するときに有利なのだということは、よほど興味がないと気づかないだろう。 初心者レベルで描かれることが多いCMやドラマでは、これが一番の理由のような気もする。 が、「日本の…」の CM は、いやしくもモバイラーと呼ばれるほどのマニアックな人が対象なのだから、一気に入力一発変換ぐらいアピールしてもよかったような気がする。

となると次に考えられる理由は「誤変換のときの修正が面倒」というパターンだろう。 長い文章を区切りなしに入力し変換すると、とりあえずできあがった文章が表示され、フォーカス(カーソル)は最初の文節候補に合わせられる。 候補に不満がある時は再変換し、次の文節に移動し、全部が OK になったら確定、という手順になる。 これが意外に面倒臭いということなのだ。 ちょっと考えると、細切れ文節手法に比べて手順数はあまり変わらないような気がするし、連文節の利点を考えたら手順数は減るのではと期待できる。 それでもなぜか、長文変換は面倒だという印象を受ける。

ずいぶん前に入力した最初の文節にフォーカスが戻ってしまうということが、文章を生成する頭の働きにマッチしていないのが原因かも知れない。 文節ごとに正しい候補を選んでいくという作業は、遅延はすべて文節内のことだから我慢できるのだが、句点までの長い文章ともなると、また最初に戻って? と思えてしまうのも事実だ。 また、キー操作が繁雑であるというのも原因かもしれない。 連続する候補間の移動はカーソルキーによって行う場合が多いのだが、カーソルキーはホームポジションから遠いので嫌われるというわけだ。 これはソフトによって改善することができる。 ホームポジションから離れずに文節間移動ができればいいわけだ (そういうわけで、僕は Wnn のキーバインドが好きだ)。 結局、長文変換の面倒くささというのは、努力次第で解消できる程度の問題に思える。

連文節変換に関する一般の関心は、果たして高いのだろうか? いや高いとか低いとかいう以前に、あるのかないのかもよくわからない。 最近流れていた一太郎の CM は「入れたてのお茶」が「入れた手のお茶」になってアチチッというオチだったが、ほとんどすべての人は「いれたての/おちゃ」で区切ってしまい、「お茶」にたどり着くまえに「入れた手の」を修正してしまうと思うのだ。 だからあの CM の共感度がはたしてどれほどのものなのかよく分からないのである。 ま、確かに「いれたてのおちゃ」ってやってみると、MS IME は期待通り「入れた手のお茶」ってやってくれるのだが。

実をいうと、こんなことを書いている僕自身、自分の手で細かく文節区切りをしてしまっているのである(自分でもびっくりした)。 自力で連文節変換のデモも作ったことがあるっていうのに…。 ま、おそらく昔からの癖(昔の連文節変換機構は本当にバカだった)が抜けないのだろう。

っていうことにしておこう。

Nov-20-1998


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