パニック

あれはたしか大学2年の冬だったと思うんだけど、休み中に実家に帰っていたときのことだった。 僕は実家にいるとやることがまったくなくて、せいぜい家でテレビを見てるか、本屋に出かけて立ち読みしているかぐらいのものだ。 その日も午後4時ぐらいだったが、テレビを見てたか本を読んでたかして、家でゴロゴロしていた。 すると突然、となりの家から女の人がひとり駆け込んできた。 母親が応対したのだが、おじいちゃんが大変なことになったので、救急車を呼んでほしいというのである。 とりあえず母親が119番通報して救急車を呼んだのだが、大変だというなら隣の住人として助けなきゃいかんということで、いったい何がどうなっているのかと尋ねてみた。 するとなんと、おじいちゃんが首を吊っているというのだった。

隣のうちには、おじいちゃんとおばあちゃんが二人で暮していた。 が、半年ほど前におばあちゃんは風呂場で倒れたきり亡くなって、おじいちゃんがずっと一人暮らしをしていたらしい。 その女の人は娘だかなんだかで、様子を見に来たら首を吊っていた、ということらしいのである。 しかし、それならのんきに救急車を呼んでいる場合じゃない。 僕は即座に下ろしましょう、と提案した。 そのときは弟も家にいたのだが、怖がって出てこようとしないので、とりあえず母親と娘さんと僕の3人で隣の家へ向かった。

うちは団地で、隣の家といってもすぐ横の扉の向うだ。 入ってみると、うちとは左右対称の作りになった同じ形の部屋になっている。 そこに、おじいちゃんが首を吊ってぶら下がっていた。 もちろん首吊りなんて見るのは初めてだ。 それはそれは、シュールな光景だった。 とにかく急いで下ろさなければならない。 迷っている暇はなかったので、腰の辺りに手を回して、持ち上げてみた。 しかしおじいちゃんはなかなか執念深く、ロープから首が外れないようハンカチを渡して頭を押さえるという細工までしていたため、持ち上げるだけでは外すことができなかった。 そこで椅子を引っ張ってきて、頭を押さえているハンカチを娘さんにほどいてもらい、僕と母親とでおじいちゃんの体を支えることにした。

おじいちゃんの体は、すでに固くなっていた。 いわゆる死後硬直というやつである。 こうなってしまうと、運ぶのが大変だ。 3人がかりでなんとか抱きかかえると、奥の部屋にしきっぱなしになっていた布団の上に横にした。 ほんの5、6メートルの距離を運んだだけなのに、3人とも肩で息をするような状態だった。 薄暗くなってきた部屋の中で、横たわったおじいちゃんを見下ろしたまま、しばし気まずい沈黙が流れた。 と、突然母親が口を開いた。

「あら、これ北枕だわ」

そんなことどうでもいいじゃん! という言葉をなんとか飲み込んで、じゃあ向きを変えようということになった。 しかしまた持ち上げるのは大変だ。 そこで布団の端をつかんで、そのままぐるりと向きを変えてやった。 これ以上この場にいると、何をやらされるか分かったもんじゃなかったので、さっさと家に戻ることにした。 娘さんはそれで一息ついたのか、家の電話で家族だか親戚だかに電話をし始めた。

僕らが家に戻ってしばらくすると、ようやく救急車がやってきた。 団地のことだから野次馬も集まりやすいのだが、僕はもう見るべきものを見てしまっていたので、救急車は見にいかなかった。 その翌々日には団地の集会場で葬式が行われたが、やっぱり僕は行かなかった。

しかし、今思い返すと、なぜ娘さんは救急車を呼ぶのにうちへ来たのかが不思議である。 おじいちゃんを下ろした後、ちゃんと家の電話を使っていたのだから、別に機械に問題はなかったはずである。 きっと、パニックがそうさせたのに違いない。 たぶん、首を吊っているおじいちゃんを見て、そのまま回れ右をしてうちに駆け込んできたのだろう。 でももしあれが、首を吊った直後のことだったらどうだろう。 電話をして、僕らに事情を説明して、なんていう無駄な時間を浪費する間に、助かるかどうかが決ってしまったかもしれないのだ。 まあ、ああいう状況下で妙に落ち着いているのもナニではあるが、やはりそういうときにも冷静沈着であるよう努力を続けなければなあ、と思う。

それからもう10年ぐらい過ぎた。 隣のうちには、今は家族が住んでいる。 それがあのときの娘さん家族なのか、関係のない別の家族なのかは知らない。 母親も、それ以来隣の家の話はしたことがない。

Mar-30-1999


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