紅茶

おいしい紅茶を飲むための本を見ると、やれポットの準備、葉っぱの入れ方、お湯の作り方、注ぎ方からカップの大きさまで、やたらと細かい事柄が並べてあってうんざりしてしまうことが多い。 果たしてここまでやって飲む紅茶が、本当においしいのだろうか。 第一これほどのことを毎度毎度やっている人なんてホントにいるのだろうか。

紅茶の本場はなんといってもイギリスだ。 しかし、イギリス人が本で紹介しているような手間暇をかけて紅茶を入れて飲むかというと、決してそんなことはない。 普通のイギリス人は、紅茶はティーバッグで入れているのである。 これはイギリスのスーパーマーケットに行けば分かる。 スーパーに置いてある葉っぱはほとんどがティーバッグ、しかもブランドも産地もないような、日本でいえば「ニットー紅茶」みたいなやつしか置いてないのだ。 それにもちろん、イギリス人だって紅茶ではなくコーヒーも飲む。 これは、日本でお茶を飲むときに、みんなが茶室に入ってお茶をたて、お椀をぐるぐる回して「結構なお手前で」と言っているわけじゃないのだという事実からみても当然といえると思う。 本場だからといって、そのような形式ばったことをするのはごく一部の人に限られているのだ。

まあ、お茶をたてることと比較するのはちょっと乱暴かもしれない。 なにしろ茶室でたてるお茶と、庶民が食後にすするお茶は全然種類が違う。 じゃあ紅茶はやはり手順を守って、きっちり入れた方がおいしいのかというと、必ずしもそうではなかったりする。 おいしい紅茶に最低限必要なのは、沸いたばかりのお湯と、混ぜもののない葉っぱだけ。 あとは葉っぱに適した量と時間さえ分かればよいのである。 葉っぱの量、お湯の量、出す時間というのは、葉っぱによって全部異なる。 だから最初の数回は、試して失敗しながら調べなければならない。 ちょっと薄いと思えば時間を長くするとか葉っぱを増やせばよいのだし、濃すぎれば減らせばよい。 おそろいのカップだとかこだわりの水だとか「一杯はポットのため」とかいうことはほっといて、適当に作ればいいのである。

入れ方はともかく、紅茶にはもうひとつ問題がある。 それは葉っぱが異様に高いことだ。 日本で上等な紅茶の葉っぱを買うと、これがべらぼうに高いのだ。 特にイギリスからの輸入物は高い。 実はイギリスからの輸入品とかブランドものは、さまざまな種類の葉っぱをブレンドしているため、ピュアな紅茶と比べて「味付け済み」というか「コントロールされた味」になってしまっている。 むろんそれが好みなら別にいいのだが、そういうものに高いお金を払うのはどうもおかしいような気がする。 本当においしい紅茶は他にもある。 もっともお勧めなのは、インドから直接入手する葉っぱだ。 ダージリンとかアッサムとかアールグレイといった、産地や品種で分類されたブレンドされていない葉っぱを使えば、値段は安くともおいしい紅茶を飲むことができる。 インドで売っている紅茶は、値段が安くてもとびきりおいしい紅茶がたくさんあるのだ。 それが、日本で売っているものの10分の1、20分の1の値段であってもだ。

もちろん、入れるときは本に書いてあるような気取ったことはしなくてもよい。 だってイギリス人やインド人が、あんなふうにしてるとは思えないでしょ。

Aug-28-1997


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