インターフェース

最近の水と湯が使える流し台についている水道の蛇口は、従来のひねって回すバルブではなく、レバーを上下左右に動かして水量や温度を調節するタイプが普通になってきている。 例えばうちのアパートの蛇口の場合、レバーを下げると水が出て、右にひねると温度が下がり、左にひねると温度が上がるようになっている。レバーを上に押し上げると、水は止まる。 最初のうちは戸惑ったが、慣れてしまえば使いこなすのは簡単だ。

ところが世の中には「レバーを上げると水が出る」というタイプのものがある。 こういう蛇口に出くわすと、果たして水を出すにはどうすればいいのかと迷ってしまう。 まあ最初に出すときはいい。 間違っても「あれ動かないや」で済むのだが、止めるときに間違えると悲惨である。 どっと大量の水が出て、あたり一面水びたしにしてしまいかねない。 だから止めるときは、そろそろとゆっくり動かさなければならない。 ある友人の家には、上げると止まる蛇口と、下げると止まる蛇口が並んでついている洗面台なんてものもあって、大変困っているそうだ。 それでも長年使いつづければ、慣れて失敗しなくなるのだろうか。 それとも、逆になっている蛇口を、正しい向きのものに交換すべきなのだろうか。

ところがこのレバー式の蛇口、水と湯の配分を決める左右のひねりが逆になっているものは一度も見たことがない。 従来の2つの蛇口がついていた流し台のころから、右は水、左は湯と決まっていたのを踏襲しているからだろう。 これがいちいち逆になっていると、ヤケドする可能性だってあるのだから、おそらく統一化されているのだと思う。 これは十分に合理的だと思うのだが、じゃあなぜ上下の方向は統一しなかったのだろうか。 きっとデザインのときに、よく考えていなかったのだろう。

デザイン上興味深いものといえば、扉の例もある。 多くの扉は、開けるときに押すか引くかの選択を迫られる。 慣れていない場所で扉に出くわしたとき、引いて開けるところを一所懸命押していた、というのは誰もが経験していると思う。 自分が住んでいる家だとか、大して人が出入りするでもない場所の扉なら、ちょっとぐらいまごつく人がいても別段問題にはならないだろう。 しかし大量の人々が行き交う場所では、人の流れをスムーズに保つ必要から、たかが扉と言ってはいられない。 そういう場所に使われている扉は、多くの場合引いても押しても開けられるようになっている。 とにかく試した方に開くので、まごつく人もいなくなるという理屈だ。 ただしその場合、反対側から来る人とぶつかってしまう可能性も考慮しなければならない。 そこで扉をガラス張りにして相手が見えるようにして、譲り合えるようにする工夫もある。

さらに進んだデザインには、「どうしても押さずにはいられない形」「なんだか引きたくなってしまう形」ものがある。 ノブや取っ手の代わりに、押すのにちょうどよいプレートが貼ってある扉がある。 引いて欲しい扉の場合、縦に長いパイプ状になっている場合が多い。 逆に押して欲しい場合は横に長いパイプ状にしてある(漢字の「日」のような扉だ)。 このようなデザイン状の工夫は、扉に「押す」とか「引く」などと書くよりも優れている場合が多い。 いくら大きな字で「引く」と書いてあっても、デザイン的に押すしかない扉は押すしかないし、多くの人は文字で書いてあることは見落としがちなのだ。

身の回りを見渡してみると、何気ない物でも考えてデザインされているものはたくさんある。 電気のスイッチ、 電話の受話器、 電卓のボタンの並び順(ちなみに電話とは違う並び方だ…不便だよねえ)、 自動車のアクセルとブレーキとクラッチの順序、 CDやビデオの再生ボタンの向き(必ず右向き)、 パソコンのキーボードの文字の順序、 などなど。 これらのデザインは、その気になればまったく新しい形や仕組みにできるのだが、従来のものと違っていると不便で使ってもらえなくなってしまう。 最初に上げた蛇口のように、混乱を引き起こすことになってしまうのだ。

さて、ソフトウェアのデザインはどうだろうか。

GUI が注目され始め、マウスが普及し始めたころに作られたソフトの中には、使っているうちに気が変になりそうなものがたくさんあった。 例えば大学にいたころ製図の講義で使った CAD ソフトは、描画するオブジェクト(直線とか円とか四角形とか)によって、描画開始ボタンと終了ボタンが違っていたりした。 メニュー選択のときには、メニューグループやそれぞれの項目によって、決定ボタンが右だったり左だったりした。 場面によってキーボードが使えたり、使えなくなったりした。 また、マウスも時折使えなくなる場面があった。 統一というレベル以前に、全然デザインされていなかったのだ。 これでは慣れるなんてことは不可能で、結局何ヶ月使いつづけても能率はまったく上げられなかった。 それどころか、いちいち「どうするんだっけ」と考えているうちにイライラが溜まって、精神衛生上よろしくない状態に追い込まれるのだ。

というのはだいたい10年ぐらい前の話だ。 そんなのは昔のこと、と笑ってすませられればいいのだが、実は今でもあまり変わっていない。 さすがに単一のアプリケーション内では、一貫した思想でデザインされているようになったが、メーカが異なっていたりするともうだめなのである。 またメーカによっては、同じメーカが作ったとは思えないほど違う思想で作られたアプリケーションもある。 結局、統一はあまり進んでいないのだ。 しかも、どのメーカも新しいものを追求するのに忙しく、使い勝手の良さだとか、一度作ったインターフェースを維持する責任を全然尊重しない。 とにかく、毎日毎日次々と新しいもの、奇抜なもの、使いにくいものを作りつづけているのだ。 どれもこれも習熟するのに1ヶ月はかかるのだが、その後1、2年もしないうちにすたれてしまう。 作った本人はご満悦なのだろうが、使う方はたまったもんじゃない。 果たして本当に使い勝手のよいソフトウェアが生まれる日がくるのだろうか。

Oct-29-1997


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