キーボード

うちには母親が仕事をしていたころに使っていた古い機械式のタイプライタがあって、 子供のころからむちゃくちゃに押して遊んだりしていた。 中学校になってから英語の授業が始まり、 英語の文章を手で書き写したりする代わりにタイプライタを使ったらどうかなと思ったのが、 タッチタイプを始めるきっかけだった。

タッチタイプというのは、 指を8本(親指はスペースキーだけなので数に入れない) 使ってタイプする技巧のことで、 速く打つだけなら人差し指だけを使ってバチャバチャ打つ方法でも相当速くなれるのだが、 まあタッチタイプ・システムが一番速く入力できるのだろう。 母親はこのタッチタイプを OL 時代に習得していたので、 その母親に習って自分も始めた。 こんなものは練習するしか向上の道はないので、 当時ラジオで聞いていた NHK の基礎英語のテキストを Lesson 1 から始めて全部タイプすることにした。 たしか 30 ぐらいまでで飽きてしまったのだが、 それまでにはキー配置を覚えることができ、ほとんどキートップを見ないで打てるようになった。 スピードの方は、ハンマー式のタイプでやたらキーが重いこともあって、あまり速くはなれなかったように思う。 三十分も使っていると、指がキーの間に挟まったりして、痛くて打ち続けられないようなシロモノだった。

それからコンピュータを使うようになったのはちょうど1年後のことで、 片っ端から雑誌に載っているゲームプログラムを入力し続けたのと、 タッチの軽いパソコンのキーボードのお陰で、かなり速くタイプできるようになった。 その後、ワープロ専用機を買って日本語文をローマ字入力するようになり、 98 シリーズ(互換機だけどさ)を買ってエディタで原稿を書くようになり、 キータイプの必要性は増すばかりだった。 大学の頃には親指シフト配列を覚えて、これはローマ字よりも1.5〜2倍は速く打てるというシロモノなのだが、 これのお陰で頭の中で作り出した文章を書き下すのにストレスを感じない程度の速度で打てるようになった。 今は色々事情もあってローマ字入力に戻っているが、 それでもペンを使って字を書くなんて苦痛以外の何ものでもないというほどキーボードには慣れ親しんでいる。 第一キータイプのしすぎで、指が力を加える方向に曲がってしまっているほどだ。

キーボードというのは、入力デバイスとして見た場合、果たして出来の悪いものなのだろうか。 一昔前なら、コンピュータの分かりにくさはそのままキーボードのとっつきにくさに転嫁されていた。 確かにキーボードに慣れるには訓練に長い時間がかかることは認める。 しかし、キーボードとコンピュータの分かりにくさの間の相関性は、 ほとんどどころかまったくないように思う。 というのも、GUI が盛んな現代でさえ、結局コンピュータは分かりにくいからだ。 それどころか GUI は、キーボード以上にコンピュータを分かりにくくしていると思うが、 今の話題と関係ないから突っ込むのはやめておこう。

ただ、タッチタイプ能力をものにしてしまうと、コンピュータが非常に身近になることは確かだ。 コンピュータを使いこなす上で重要なのは、どしどし試してみるということだ。 たくさん失敗を重ねた上で、どうすればうまく動くのかを発見するのが上達の道のひとつなのだ。 それならば、短い時間のうちにたくさん入力ができる方が上達が早いという訳である。 多分、キーボードが悪い説は、この理屈を逆にしたのが原因だろう。 逆は常に成り立つわけじゃーないのである。

まあでも、今でも世の中ではキータイプ技能は結構特殊な能力だ。 ぐるっと周りを見渡しても、1分間に50ワード以上打てる人はほとんどいない。 テレビドラマなんかで、役者がキーを叩くシーンも見掛けるが、 一目ででたらめに打ってるなーというのが分かってしまう。 綿密な役作りをしろとまでは言わないが、たとえばピアニストの役ならもうちょっとそれっぽく見えるような練習をするだろうに (手の位置と音の高さぐらいは合わせるよね)、 キータイプはそんなふりをするほどの価値もないということなのだろうか。 そういや最近キータイプ練習ソフトが流行っているらしく、 店頭に10種類以上の練習ソフトが並んでいたりする。 まあどれも似たようなものなのだが、 なぜかどれも「ブラインドタッチ練習ソフト」という名前なのだ。 ブラインドタッチは和製英語だし、第一直訳したら「めくら打ち」である。 PC の問題はさておいても、「でたらめに打つ」というんじゃ全然意味をなさないと思うのだが、 まあやっぱり世の中そんなもんか。

Dec-11-1997


[prev] / [next]
[back to index]