状態

友達同士ならきわどいツッコミやギャグでも笑って流せる、ということはよくある。 でも、たまたま機嫌が悪いときだとか、タイミングを間違えると怒られてしまうこともある。 そういうことは相手の表情や仕草、言動に注目していれば、だいたい分かってくるものだ。 相手がどんな状態にあるかを判断して、言っていいこと悪いことを決めるわけだ。

コンピュータと付き合うときも、相手の状態を読む能力が必要不可欠となる。 なにしろコンピュータの場合、間違ったタイミングでボタンを押してしまうと、怒ってくれるどころかスネて寝てしまうような相手なのだ。 そしてうっかり寝かせてしまうと、二度と起きてくれなくなってしまうこともある (死んでしまったというのはちょっと物騒だが、死んだも同然かもしれない)。

ところが、このコンピュータの表情を読むことは、人間のそれを読むことよりもはるかに難しい。 コンピュータは非常に無口で、無表情で、無愛想なのだ。 例えば何か仕事を頼むと、コンピュータは一心不乱にその仕事を引き受けてくれる。 しかし「いま仕事してますよ」というそぶりはほとんど見せないのだ。 ちょうど、忙しいラーメン屋で「チャーシューメン!」と大声を上げても、だれも返事をしてくれないのに似ている。 店のおやじは黙って麺を煮始めるが、それが自分の分か他の客の分かは全然分からないのだ。 コンピュータの場合はもっとひどくて、麺を煮始めたのかどうかさえ分からないのだ。 一応、コンピュータが忙しくて返事ができないというときは、マウスカーソルが砂時計のマークに変わるらしい。 しかし、そんな小さな変化を捉えることができるほど、利用者が神経質かというと、そうでもない。 でも、コンピュータを使う人々には、そういう細やかさが要求されるのだ。

コンピュータの分かりにくさの真骨頂は、うっかり電源を切ってはいけないというルールにもっともよく現れている。 誰もが必ずやらなければいかんのに、それを間違いなくやってもらわなければ困るのに、それを分かりやすくしようとか、どうやっても安全なようにするとかいう工夫を、まったくしようとしない。 コンピュータは限りなく冷淡で、陰湿な思想で作られているのだ。 Windows の場合、電源を切るためにはまず「スタート」ボタンを押さなければならないなんていう、正気とは思えない仕組みになっている。 Macintosh では「特別」だ。 コンピュータではそういう常識外れこそが当たり前なのだ。

状態の話をしようと思ったのにうまくいかなかった。 また今度、ゆっくり考えてみよう。

Dec-20-1997


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