説明

道に迷って通りがかりの人に道を尋ねるとき、

「すみませんが…」

と声を掛けてはいけないのだそうだ。 というのも、そう切り出された相手はキャッチセールスか何かだと思って逃げていってしまうからだ。 道順を聞きたいならば、挨拶は抜きにしていきなり

「駅はどっちですかあ?」

と言い放ってしまう方がいいというのである。 もちろん、相手が答えてくれた後に丁寧に礼を言うのだ。 道端で怪しい商売が流行る都会ならではの知恵なのかもしれない。

説明とは、ある事柄について、それがどういうものなのかを相手に分かるよう伝えることをいう。 そのために、相手は既に何を知っているか、相手の知識はどの程度かを見積もることが重要となる。 どんな形にせよ、説明というのは相手が既に知っている事柄を元に組み立てて行かなければならないからだ。 それはちょうど、土台の上に建物を立てるようなものだ。 屋根を乗せる前に、柱を立てて壁を作ってやらなければならないわけである。 そのような段階をきちんと踏んでいかないと、結局家は立たなかったり、最終目標であったはずの家とは似ても似つかないものが出来上がってしまったりする。

大体において道の説明の下手な人は、相手が既に知っている知識を見積もるのに失敗しているか、知らない人がその場所でどのような反応を示すか推測するのに失敗するか、ひどく曖昧な言葉遣いに気付かないことが多い。 たとえば知らない人にとっては「大正堂の角を左に曲がってすぐだよ」という説明は役に立たない。 大正堂はどこにあるのか、そもそも大正堂とはナニかを知っていなければならないからだ。 「駅を出て左へ行けばすぐだよ」というのもまずい。 駅の降り口がたったのひとつで、しかも方向が定まっていない限り、左がどちらか分からないということになってしまうからだ。 こういうときは「駅を出て北に向かって」と言った方が確実だろう。 右とか左というのは相対的な基準なので、うっかり間違った方向を向いてしまった場合、突然役に立たなくなってしまう。 そして、知らない人ほどそういう間違いに陥りやすいのである。

まずい説明の宝庫といえば、なんといってもパソコンのマニュアルである。 マニュアルは、相手(読者)が何を知っていて何を知らないかを正確に見積もる術がないという点で大きなハンデを背負っているといえるが、それを差し引いてもひどい出来のマニュアルはたくさんある。 ちょっと例を挙げてみよう。 Windows NT のオンラインヘルプで、「印刷する」という項目の「ドキュメントを印刷する」の説明は以下の通りだ。

ドキュメントを開いている場合は、[ファイル] メニューの [印刷] をクリックします。 開いていない場合は、マイ コンピュータまたは Windows NT エクスプローラで、[プリンタ] フォルダのプリンタ アイコンに目的のファイルをドラッグします。

この説明を理解する上で必要な基礎知識はどれほどのものだろうか? まずすべての用語についての知識が必要だが、ドキュメント、開く、メニュー、クリック、マイコンピュータ、エクスプローラ、フォルダ、アイコン、ファイル、ドラッグと、数だけでもすごい量である。 これらの用語の中には操作を伴うものもある(開く、クリック、ドラッグ)が、もちろん操作方法を体で覚えている必要もある。 さらに用語の意味の拡張も必要だ。 「ドキュメント」というのは非常に曖昧な意味で使われているのが分かると思う。 これはワードの文章かもしれないし、エクセルの表かもしれないし、PhotoShop の画像かもしれない。 場合によって読み替えなければならないのだ。 さらに説明文では、最初ドキュメントと読んでいた対象物が最後では「ファイル」に変わってしまっている。

実のところ、このような言い放しタイプも、説明のテクニックのひとつと言えなくもない。 不明な用語をさらに引いて、最終的に全体的な理解が得られればよいからだ。 特にコンピュータの場合、画面語検索は簡単にできるから、これはこれでよい手法かもしれない。 が、もちろんそれも出来具合による。 ちょっと「ドキュメント」という語を引いてみよう。 すると「ドキュメントのコピー」「ドキュメントのショートカット」「ドラッグ」「パス」「プレビュー」「関連づける」などなど30項目ほどのトピックが出てくるが、どこにも「ドキュメントとはナニか」という説明がないのである。 つまり、この説明文はテクニック上このように設計されたのではなく、単にまずい説明なのだということが分かる。

書籍のマニュアルも大体同じような状態に陥っている。 「どんな知識をもった誰が読むのか」ということを考慮しないで作られたマニュアルが多いので、「○○したいんだけど」と思って調べようとしても、「××はどういう仕組みで動いているのか」ということが知りたくても、どこに説明があるのか分からないということになってしまう。 そして苦労して説明文にたどり着いても、「○○するにはプリファレンスの拡張ダイアログから○○の詳細設定ボタンをクリックします」なんて書いてあったりして、「プリファレンス」という語の意味を求めた新たな冒険の旅が始まるわけだ。

巷では、「できる」シリーズに代表される、操作段階に応じてすべてのスクリーンショットを載せた解説書が流行っているらしい。 これは確かに分かりやすいかもしれないが、新たな知識を得ることはまったくできない(だって書いてある通りに操作するだけだもんね)ので、スキルアップにはまったく役に立たないし、スクリーンショット以外の画面になってしまったらもうオシマイである。 それはちょうど、マニュアル以外の事態が発生したときにパニックに陥るファーストフードのバイトみたいなものである。 そもそも GUI が分かりやすいというのなら、そんなスクリーンショットが役に立つのって変だと思うのだが、世の中そういう風には動いていないらしい。

Feb-03-1998


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